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2010/09/01

フォトグラフの概念

私にもっと商才があれば"写真屋フォトカノン"さんみたいなことを
していますね (^^ゞ 。 ナダール の林さんも好きです。

私の考えでは、プロ フォトグラファーであっても、商品・鉄道・自然・
ポートレート・スポーツ・料理等々、自分の専門や得意では代価を
いただく"プロ"ですが、それ以外では長年特定の被写体を懸命に
追っているアマチュアには叶いません。

"ある一線"からは、同じアーティスト仲間だという考え方です。
ただし"玉石混同"とは違いますよ。お間違えなく・・・


批判を覚悟で言うと、街角スナップやお散歩カメラに、固有の作画
的なうまさ、強烈な個性を感じるプロなんて5人ぐらいしかいません。

特別なロケ地に行ける人、特別な席(被写体)が用意されている人、
印刷物になって、能書きがもっともらしいからプロ作品に見える
だけだと思いませんか。

ブランド=撮影者を表記しなければ、プロと特定できずアマチュア
と混同しても分からない、特別な"絵"を感じない作品がほとんど
ではないですか?

客観的にやや冷淡にプロ作品を鑑賞してみてください。
もちろん、"その特権を得るのもプロ"なのでしょうが。

絵画をやる人はその点、「この場、この状況なら自分でも・・・」
という見かたで"表現法を客観視する"人が多いようです。
たぶん絵画や彫刻の分野の方が、プロとアマの壁が大きく
厚いだけに厳しいからだと思います。


ですから、フォト遊びカメラ遊びは十人十色。色々な表現を皆で
楽しみたいのです。 (評価は私の主観・嗜好だからしたくない)
皆がフォトグラファー、アート仲間だと思うのです。

☆お金をいただくには、"ある一線"のテクニック、絵ごころ(作画
センス)、をクリアしているのが前提ですが、昨今の自称プロでは
それも相当あやしいですね。

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■COLUMN」カテゴリの記事

コメント

藤田さん、まったく同じことを言っていますね。
そういう考えを持った人と、初めて知りました。

!御苗場写真展"も、従来の「写真」を否定する勢いがありますが、「写真展」だから困ったものだ!
結局、同業の有志も"Photograph"は、"写真"ではない。
"写真"という呪縛から逃れても良いじゃないか、とは思っているようです。

ただ、本当にその呪縛を逃れようとすると、メジャーギャラリーもコンテストも門戸を閉ざす。
門を叩いても、見ようともしない保守派が堂々と存在する。

だからAvant-gardeな"光画"は雑誌に登場しない。メジャーギャラリーで見ることは極めて希有。
これが事実だと思うのです。

投稿: MazKen | 2010/10/24 22:49

またまた、読んでいた本で同趣旨の記載をみつけました。
MazKenさんも著書を出されている、エイ文庫「花と写真の時間」。著者は藤田一咲氏氏。下記に抜粋掲載します。

・写真は文字通り、真実を写すものという誤解は、嘘のような、作り物の写真は「コマーシャルみたい」と言われ、おかしい、よくない、評価の対象にならないとでもいうような見方、偏見を生んだ。日本の場合は特にそうだ。というのも世界中で「フォトグラフ」という言葉に「写真」という字をあて、その意味に束縛されている国は写真や写真技術が知られている国々、つまり世界中では日本以外にはない。

・フォト+グラフとは「光で描く」。「真実を写すもの」ではない。少なくともそれだけでは。この言葉の意味からくる写真表現の出発点の違いは、その後に大きく影響している。

・日本人にとって写真は日本語の意味にとらわれることなく、もっと自由であっていい。言葉もその意味もわからない子供が筆で好きなような、のびのびと絵を描くように。

※全くMazKenさんと同意見ですよね。本当に。

投稿: muraaki | 2010/10/24 01:38

>「発見=気付き」を感じれれば、「驚き・感動」となり、「不快」を感じると、「否定」となってしまうのでしょう。

まさにおっしゃる通りです。

また「発見=気付き」は、自己改革・価値観変革の好機でもあります。
昨今の時節柄、どんなArtistもCreatorも、安穏とした状態で無いのが当然です。

作品においても、制作価格においても新しい波は起きています。
それを「発見」し「気付く」ことは、自分の中に凝り固まっていた価値観を改革する好機だと思います。

また価値観の変革は、1人のフォトグラファーやデザイナーだけではダメともいえます。
私の業界で言えば、出版社・印刷会社・DPE業者・ギャラリー等々を含め「発見=気付き」を共有できないと、ごく近い将来その業者は淘汰されてしまうでしょう。

ベルギー展を目前にして、私の周囲には2つの潮流(グループ)が明確になりつつあります。
これはこれで、面白いと言えるでしょうね。

投稿: MazKen | 2010/10/19 22:33

MazKenさま、コメントありがとうございます!

>ある作品に対する私の感性の共鳴ですから、JAさんの作品も、田中哲也さんの作品も、自分勝手な誤解であり妄想なのです。

私のお願いしています撮影で、いつもMazKenさんのカットには「驚き」があります。
ショップをデザインしている過程で、頭の中でショップの中を歩き回ってどこからどんなシーンが見えてくるのか把握しているのですが、MazKenさんは、「こんなシーンがあるのか!」という想定外でもちろん「美しい」カットを見つけ出してくれます。
「想定内=予定調和」の中は、安心で居心地が良いので、そこに留まりがちです。「想定外」の「コト」が起ると、心に揺さぶりをかけられ、過剰に反応したりします。それを「快感」として受け止められるか「不快」と感じるかで、「コト」の評価が大きく変わってしまうのだと思います。
「発見=気付き」を感じれれば、「驚き・感動」となり、「不快」を感じると、「否定」となってしまうのでしょう。
予定調和に安住し否定される方は、「気付く」ことで自分が失うものに「気付いて」いるのでしょう。もし、それさえ気付いていなければ、もっと悲しい状況ですね。それは置いておいて、「気付き」=「気付かせる」ことこそ、「Art」の本質だと、私は思っています。
そういう意味で、私はMazKenさんが撮ってくださる「竣工写真」は、だだの記録ではなく、MazKen「Art」と理解しています。

投稿: JA | 2010/10/15 11:22

"フォトグラフは、そこにあるものを撮るのではなく、そこで感じたものを撮ること・・・・"

JAさんの名言ですね。これは座右の銘にしないといけません。

私の空間撮影に、アーティスト物が多いのはそのせいかもしれません。
たしかに、MazKenフォトは勝手なコラボレーション作品の割合が高いことが特徴です。

ある作品に対する私の感性の共鳴ですから、JAさんの作品も、田中哲也さんの作品も、自分勝手な誤解であり妄想なのです。
その跳ね返りが、オリジナル作者と響き合えば繋がって行くし、一発ではずれのこともあります。

それも個性、IDENTITYです。

投稿: MazKen | 2010/10/12 23:56

JAさん、私は今回、かなり過激なコメントをチャッチい作品に作品に添付しました。
「写真術」が「虚」であることは、すでに第2次大戦;WW2の時からヒトラーに限らず、軍部は使っているわけです。
戦争写真なんていうのは、ドキュメントに分類されますがたいていは「虚」なんですね。
権力あるいは、ある側面の撮影者から都合よく撮影したり、オプチカルや手描きでアナログエフェクトしている。
もう70年も昔から、エフェクトは公然と行われていたし、そんなこと言ったら広告フォトなんて全部「虚」ですよ。

写真で真贋論争したり、画像処理はインチキだなんて言うのは全くナンセンス。
ましてや撮影時にフィルターで処理はアリで、撮影後のエフェクトは違法なんて言うのは、フォトショップが自分で操作できない先生の基準でしょう。
いい加減にせんと、日本のフォトアートはアジアでも最後進国ですよ。

私は、自分のプリントした空間は「虚」であると言い切れますよ。
罪なことだと全く思っていません。
依頼主(クライアント)の求める理想の空間を、フォトグラフというカタチで具現化するのが役目だと思っています。

投稿: MazKen | 2010/10/10 01:53

MazKen様、皆様、大変ご無沙汰しておりますJAです。
私もひとことよろしいでしょうか。
前回のペンスケ展に出展させていただいた私の作品が、正にここの話題がテーマでした。
その時の解説を書かせて頂きます。

目の前にある像は「実」なのか。写り込んだ像は「虚」なのか。
目に映る像は「実」なのか。フィルムに写る像は「虚」なのか。
フィルムは「実」なのか。データは「虚」なのか。
「真実」はどこなのか。

「ありのまま」って一体何なんでしょうか?
街の音を録音して聞いてみると、すごいノイズで驚かされます。「こんなにうるさかったかなあ」って。皆さん経験あるのではないでしょうか。(笑)普段、人間は無意識の意識で大量の外的刺激=情報をセグメントしています。私の見ている景色が隣の人の目には同じに映っていないかも知れません。おそらく違うんじゃないでしょうか。
フォトグラフって、「そこにあるもの」を伝えるのではなく、「そこで感じたこと」を残す・伝えることじゃないかと私は思っています。
そんなフォトグラフは撮れていませんが、、、とりあえず「思い」だけは、、、

私の意見を書かせて頂きました。失礼致しました。

投稿: JA | 2010/10/03 18:14

MORIMORI9さん、語源のPhotographは "写真"と訳せない。
"光の絵"ですよ、絵・・・・写真という日本語と漢字を使うから、妙なことになる。

デジタルカメラの高性能化で、写実的になら誰でもある程度撮れてしまう。
いわゆるカレンダーフォトなら、風景でも花でもそれほど差(個性)は出ない。
女性が好きなボケだって、背面モニタで見ながらコントロールできちゃう。

そこから先のフォトアートの発展には、皆さんも含め意識改革が必要なんです。

何度も言いますが『光の絵という側面もある』と認識していただきたいのです。
ドキュやリアルの全否定では無いことを、勘違いしないでくださいね。

投稿: MazKen | 2010/09/14 13:12

(前の投稿のつづきです)
切れたボートの先を、余白(うすみどり色に塗りました)部分まで描いてみたら…とアドバイスされました。
私は、大変驚きました。なぜなら、写真の表現では有り得ないからです。
また、写真に写っていた自動車(オレンジ色の外車)を赤色にしてしまいました。
そして、先生に、細かな点は描かなくてもいいと言われました。
「写真じゃないんだからね」
と言う事です。。。
この時、絵画は、写真と違って、実に自由な世界だと痛感させられました。。。
私が絵を描くのが下手なのは、写真のように描こうとするから、ダメじゃないかと・・・

ひよっとしたら、
私の写真も、
対象をありのままに写そうとするから、
ガチガチになっているのではないでしょうか?

MazKenさんのおっしゃられる自由な写真(私が書いて来た事と、ちょっと違うかな?)が撮れるようになりたいと思っています。。。

投稿: MORIMORI9 | 2010/09/14 11:11

MazKenさん、こんにちは。
そして、このブログに参加されている皆さん、こんにちは。
久しぶりの登場で御座います。。。

いや~、ようやく、暑くなくなりましたね。それにしても、今年の暑さは、異常でした。
やっと、戸外に撮影に行けるようになりました(まだ、暑いですけど・・・)。。。

さて、皆さんは、高校の時、芸術学科の授業はありましたか?
私は都立高校だったんですが、音楽と美術と書道の選択学科がありました。
私は、音楽は好きなのですが、歌は超音痴(カラオケは大好きです)、楽器は何一つ出来ない(弟はクラッシックギター、妹はピアノが出来ます)ので、音楽学科はパス。。。
手書きの字も、超下手なので、書道学科もパス。。。
残った美術学科を選択しました。
ところが、ここでも問題が・・・そう、絵を描く事が超苦手なんです。
でも、彫刻が大好きだったので、なんとか救われました。。。

閑話休題。
かなり以前、実は、油絵を少しだけですが、習う機会がありまして、私は、大学時代、ボートをやっておりましたので、本に載っていた車の脇でボートをかついでいる写真を描いた事があるんです。
写真のボートの上部は切れているんですが、油絵の先生に、私の絵のふちの部分

投稿: MORIMORI9 | 2010/09/14 10:50

長いから続きです  (^O^)

例えば私が今仕事でメインに使っているのは、EOS 50D。
「なんだアマチュアのデジカメじゃん」 と言う人の声が聞こえてきますね (^^ゞ

でもこれで、月に100人近い福沢さんがやってくる事もあります。*ごくたまに・・・
編集部や広告のクライアント様に、画質がヘボと言われたことはただの一回もありません。
まあ、そう感じたならクビですけどね。

このEOS君。もちろん全自動デジイチですが"私の仕事"で自動の機能を使うのはどれほどかなあ?
露出・ピント・ホワイトバランス・・・全部手動で使っています。
連写なんて、クルマか自衛隊の演習でも撮らなきゃ使いません。

おそらく、商品撮影をメインにする友人たちも、自動撮影や連写なんてしないでしょう。
今の全自動デジカメでも、全手動で使えるから、勉強したければ手動にすれば良いだけです。
これも、必要に応じて、仕事の内容で違いますから、くれぐれも誤解なく。

デジイチの良いところは、フィルム代と現像代がいらないことです。
練習コストがタダ・・・これはとても良いことです。

投稿: MazKen | 2010/09/12 23:16

とーこさん、今回の課題制作には皆さん苦労していると思います(^^ゞ

私もこの2ケ月近く、ベルギー展の作品選考&試作で膨大な作業が続きました。
数々の和紙とインク(プリンタ)のマッチングだけで2週間。
50枚以上の高級和紙が紙クズになりました。
作品制作というのは、プロもアマチュアもなく、そういうものです。

私はカメラ好きというより、ある時点から作品本位=撮影しプリントすることが好き=光の絵描きであることに気付きました。

たぶん、多くのカメラの話題が好きな人達と違うところです。
筆や絵具=カメラ&レンズ+フィルムは、厳選しますが"厳選するからこそ"色々なカメラの収集はしません。
一つの道具を極めるのに、精一杯だからです。
極めたら、少しでも良い仕事・・・多くの撮影をしたいからカメラの予算は三の次です。

最初は自動露出のコンパクトカメラ。腕が上がったので一眼レフ。
写真専門学校に行くためにグレードアップ。
本当に仕事で使うにはキヤノンの一眼レフ・・・
と言うように、自分の腕前と撮影対象の必要性に合わせて、カメラ機材が変わっただけです。
カメラが欲しいのでなく「この被写体(仕事)だから、このカメラが必要」という考え方です。

"スキル"も同じです。
好きな撮影対象を撮るなら現場に何度も足を運び、たくさん失敗して「失敗の体験を積んで取得する」のが"スキル"です。
必要なスキルは、撮影対象の数だけあるのです。

雑誌や本、WEBで見た「知識」は失敗を避けるためのルールに過ぎず、それをマスターしても絶対に"自分の表現"では無い。
人真似はしょせん真似にすぎない。つまらない真似の自慢です。
絵を描く人、イラストを描く人、音楽をやる人の方が理解しやすいはずです。

>普段使っているデジカメでできる、オススメの撮影練習法などはありますか?

それは、何を撮りたいか? 撮ってみたいか?だと思います。
何を撮るか?で、そこに必要な技術が見えてくる。

私だって撮影したい対象がなければ、プラモデルを作ってますよ。
工作道具からエアーブラシまで、色々な道具を使う立体造形です。
お手本; http://www.geocities.jp/shige122112/tank.html
指先の運動と、自在な発想を助けるためプラモデルは私とって大切な遊びです。
以前は3D-CGソフトの"Shade"で遊んでましたが (^^ゞ

投稿: MazKen | 2010/09/12 22:51

こんにちは。

雑談ということで、
はじめて書き込みさせていただきます*

学校で開いていただいたセミナーでMazKenさんのお話に感銘を受け、「写真」というものへの見方が変わりました。
そして 今回、「36コマ1本勝負」展に参加させていただくことになりました^^

しかし、展示会に向け、お借りしたカメラで練習をしているものの、
フィルムの難しさに、たいへん苦闘している今日この頃です…><。
(といっても、練習用にいただいたネガは取り出しに失敗してダメにしてしまったし、
練習結果を見ることができたのは、自分で購入して撮ったポジ一つなのですが…)

現像したフィルムを見てガッカリ…。
普段使っている LUMIXのG1がデジタルで勝手にピントを合わせてくれちゃう分、今回は自分のスキル不足にやられてます…;


せっかくこうして参加させていただくのだし、楽しんで撮りたい!と思う反面、
「人の目に触れる以上、ちゃんとしたフォトを撮らなきゃ」という頭が先立ってしまい、じりじりと焦るばかり…。

フォトは、撮るのも見るのも好きですし、撮ったものや見たものの中から、自分の気に入るフォトが見つかったときには、なんだかとても嬉しくて幸せな気持ちになれるのですが。。。


「見せる」立場になるのは初めてのことで、
気負いや義務感からか、最近はカメラ自体を遠ざけてしまっている自分がいます。

所詮、アマチュアの悩みではあるのですが、
みなさんの書き込みを読んでいて、「スキルのない私のフォトなんて、見せられるようなものじゃないかも…」と怖じ気づく始末。

「このままじゃいけない!」ということで、
みなさまにお訊きしたいことがあります。

普段使っているデジカメでできる、オススメの撮影練習法などはありますか?
(そんなもの、自分で探すべきだ!とお叱りを受けてしまうかもしれませんが…;)
フィルムを買うにも、なかなかお金をまわせないので…。
アドバイスいただけると幸いです。


追伸。
みなさまの考える、
写真における「スキル」って、
具体的になにを指すのでしょうか…?

投稿: とーこ | 2010/09/12 13:03

>「写真」が「真実」を写すものと考えることが誤解の始まりであり、混乱の原因である。

>英語のフォトグラフの方が「光の図」というような意味で、写真を明快に表している。

>写真を「光を利用して描く絵」と考えれば、被写体を忠実に描写すべきという義務感と抑圧感から開放される。

>「写真」という語は、後で日本人が勝手にあてはめたものであり、言葉にとらわれるのはばからしい。

千葉憲昭氏も、真に言い当てていますね。
でも、私と同様とても少数派でしょう。

また、「光の絵という考え方もありますよ」と言っても忙殺されるのが、絶対ドキュメンタリズム、リアリズム主義の日本の写真界なのです。
例えば報道的フォトに限らず、ネイチャー系の作家も同じ思想で撮っているでしょう。

カメラマン誌フォトコンで上位常連の楠*さんなんて、地元の写友会で"変人"扱いされていると言ってました。
楠*さんだって、正月に神戸でお会いした川*さんだって、普通に撮ったって素晴らしくうまい人なんですよ。
だけど、単に写すだけの「写実主義」に飽きたから、自己表現を持ち込むと・・・もう変人扱い。
「写真じゃない!」の罵声が飛ぶのです。

いつになったら、この先進国でも稀有な、恐ろしく狭義な"写実絶対主義"から逃れられるのでしょうね?

投稿: MazKen | 2010/09/11 19:23

たまたま読んでいた、6年前出版のフルーバックス「カメラ常識のウソ・マコト」の中に同趣旨の記載がありました。(著者:千葉憲昭)
以下に抜粋します。

・「写真」が「真実」を写すものと考えることが誤解の始まりであり、混乱の原因である。

・英語のフォトグラフの方が「光の図」というような意味で、写真を明快に表している。

・写真を「光を利用して描く絵」と考えれば、被写体を忠実に描写すべきという義務感と抑圧感から開放される。

・「写真」という語は、後で日本人が勝手にあてはめたものであり、言葉にとらわれるのはばからしい。

・写真には作意が込められて当然であるし、効果的な演出のための加工も許される。こう考えると写真の世界は「記録」から「芸術」へと広がり、より可能性に富んだ世界が拓かれる。

・銀塩写真全盛期に、和紙にプリントして「異端者」扱いされた写真家がいたが、現在では評価が一変し賞賛されている。

・この図式は、まさに「写真(真実を写すもの)」と「フォトグラフ(光で描く絵)」の違いによるもの。

・日本では旧来の「抵抗勢力」が牛耳っていて、物理的な変革は進んでも、精神面での改革が追いつかない場面が時々見られるのが現状である。

投稿: muraaki | 2010/09/11 12:35

akkii さん、ごめんなさい。

今日は娘の合唱団の特別な日だったのです。"小僧#も見てね!

>思った通りの画を撮る為の技術がなければ元も子もないのは確かですが

おっしゃるとおりです。
基礎的なスキルも無いまま、プロ気どりの方も増えていますね。
偶然や、想定外、ハードの意外性で"勘違いアート"をもてはやす傾向が
あります。

>ピカソの14歳頃の作品をみたら
>トンでもなく写実的で驚いた事があります。

ピカソに限らす、かなり前衛的なアーティストも、トレディショナルな
作品を描く基礎 (基本) は持っているのです。
フォトグラファーも同じで、苦手はあっても、基本的なことは全部教育を
受けて世に出ている ハズだった のです。

私がよく取り上げる電脳光画家だって、そのほぼ全員が普通のフォト
コンの上位常連さんなのですよ。
フツーに撮ったって、十分すぎるほどスキルもセンスもあるんです。
決してフォトショップの気まぐれ遊びではありません。

他方でデジはシャッター速度と絞りの関係、ピントに関する一切を知ら
なくても、とりあえず押せばうまく写る。
今や、ちっとも理系頭脳じゃありませんよ。

逆に今や、デザイナーやグラフィック関係者は理系の脳みそでない
と仕事になりません。
良い悪いでなく、そういう要素が求められる時代なんですね。

投稿: MazKen | 2010/09/04 23:53

自分の事を棚に上げて、というのが前提でですが(^_^;)
ピカソの14歳頃の作品をみたら
トンでもなく写実的で驚いた事があります。
おそらく今そのあたりの段階なのかもしれません。
デジカメというツールを得て。
 
ペンスケ展に挑戦してから感じる事なのですが
カメラ構えてレリーズ押しだしてから
自分の頭の中のスイッチが切り替わるまで
ロクな画が撮れないと感じる事がしばしば。
またそのスイッチがいつまでも切り替わらない時も多くて。

思った通りの画を撮る為の技術がなければ
元も子もないのは確かですが
なにかこう、絵画とフォトを比べた時に
フォトの方が何か”理系”的な人が多いような気もします。
自分もそうですが。

投稿: akkii | 2010/09/03 22:44

私はかれこれ、40年以上"カメラ"雑誌を見ています。

木村**も土門**も、リアルタイムで見ています。
森山**、篠山**、その他の巨匠が1970年代に
登場したのです。
彼らはその時代の過激派で、実に独創的で衝撃的
だった。その時代を突っ走った彼らを否定するつもり
などありません。


以前、お話したように、40年前と現代の"カメラ"雑誌。
広告と新製品ページを除くと、作品の表現方法が
ほとんど変わっていないから、区別できない。
フォトコンなんてその典型で、祭り、子供、女性、老人、
風景系などドキュメント的画像が定番です。

>基本は"被写体の記録"なんですよね…。

それはそれで良いですが、そこで・・・それだけで
アートとしての進化が止まっているのが問題なのです。
記録写真の域を出られ無い。"写真は記録"という概念
以外を認めようとしない。このニッポンは!

グラフィックやアニメ、ムービーの世界は、決して
デジタルによるデジタル的表現を、否定も拒絶もしなか
った。
クラシック音楽だって、いかにも的電子音楽を早くから
認知していますよ。

写真界は? デジタルらしさを排除・拒絶・否定の歴史が
今も続いていますよ。
「デジタルらしいフォトは異端」と、若い人が言う。
1970年代で止まったままなんですよ。本当に・・・・

投稿: MazKen | 2010/09/03 11:48

あ゛〜っ!失礼しました,MazKen さま,でした。

> 基本がいつまでも"被写体の記録"なんですよ。

ですが,基本は"被写体の記録"なんですよね…。
自分はそう思ってます。

そこから先をどう一歩踏み出すか…

投稿: せみ ちゃん。 | 2010/09/03 10:57

ふくいのりすけ さま,MAzKen さま。

ただ,「過去に学ぶ」ことは大事な事かと思っています。
例えば,『ライフ写真講座』には今でも学ぶべき作例が
沢山出ています。

投稿: せみ ちゃん。 | 2010/09/03 10:53

こんにちわ。Twitterではありがとうございました。
僭越ですが同じような事考えてました。
デジタルの時代になったからこそ、写真はもっと自由で良いと思ってます。
評価の定まった過去の人達から学ぶのはよくても
模倣する必要はないですよね。

だって過去の彼等はあの時代新しい事を創り上げる情熱があった事が重要なんですから

投稿: ふくいのりすけ | 2010/09/03 00:59

今日は近江八幡に特急日帰りロケでした。

当地のミュージアムのキュレーター(学術員)の女性とも話ましたが、
やはり、**写真倶楽部とか写真同好会の指導者は、同じように
風景はこう撮れとか、スナップはこう撮れとか紋切で指導すると
言うてました。
そんな指導者に、若い人まで感化されてしまうってね。

だから、いまだに1970年代の巨匠ばかり礼賛している若い人が
多い。全く新しい流れはあるのに、自分たちの世代で新潮流を
忙殺している。

基本がいつまでも"被写体の記録"なんですよ。記録写真=
写実主義=リアリズム=ドキュメンタリズム。
そうなると、今時の超高性能デジイチなら、皆それなりに撮れる。
「良く撮れてますね~」なんて、常識でしか過ぎない。

フォトもアートですよ。報道や記録の側面だけじゃない。
モンタージュだろうとコラージュだろうと、エフェクトだろうとありでしょう。
好き嫌いはあるでしょうが、ニッポン人はそういうフォトアートに馴れて
いないから、すぐ全否定する。

かと思うと、トイカメで撮った"偶然性に頼る"だけのヘタクソアートね。

私はそこのところを、ブチ壊したいんですよ。

投稿: MazKen | 2010/09/02 23:35

まったくもっておっしゃる通りですよね。
「オレの方が巧(上手)い」とまでは言いませんが。

単に写真だけ示されても唸れる作品がどれだけあるかどうか…?

> 批判を覚悟で言うと、街角スナップやお散歩カメラに、固有の作画
的なうまさ、強烈な個性を感じるプロなんて5人ぐらいしかいません。

特別なロケ地に行ける人、特別な席(被写体)が用意されている人、
印刷物になって、能書きがもっともらしいからプロ作品に見える
だけだと思いませんか。

ブランド=撮影者を表記しなければ、プロと特定できずアマチュア
と混同しても分からない、特別な"絵"を感じない作品がほとんど
ではないですか?

投稿: せみ ちゃん。 | 2010/09/02 23:18

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