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2009/07/31

米谷さん ありがとうございました

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ペンの生みの親、米谷美久氏死去

米谷美久氏が30日午後0時34分、呼吸不全のため東京都八王子市内の病院にて死去されました。(76歳)

米谷氏はオリンパス光学に1956年に入社。1959年に発売された「オリンパス・ペン」シリーズ、72年発売の小型軽量一眼レフ「OM」シリーズの生みの親であり、日本のカメラ産業にあまりに偉大な足跡を残しました。
最近では、今年のヒット商品間違いなしの「E-P1」も、ペンという名機をベースに生まれた商品であることを、E-P1の開発チームが認めています。

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私は「時を超えるカメラ」を出版した05年の秋、日本カメラ博物館のご厚意でTOMY師と3人で懇談をしています。
その時の話しぶりや、同日の熱意あふれるトークショー、2時間に及ぶ丁寧なサイン会など、今でもはっきり思い出され、とても急逝が信じられません。

 心よりご冥福をお祈りいたします。

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■COLUMN」カテゴリの記事

コメント

せみ ちゃん。さん、そうなんですよ。

究極のカメラは、必要な画像が「いつでも、誰でも、容易に得られる」カメラでしょう.....究極の全自動化なわけです。

例えばデジイチの普及(廉価)型が今の勢いで進化して、2100万画素が一般化。
秒8コマで120コマの連続撮影が可能となり、ISO感度は12800まで、限りなくノイズレス。
動体予測AFは時速300km/hで向かって来る、あるいは遠ざかる被写体まで楽々追従する。
顔認識や任意の人物追従の精度も抜群になったとします。

そんなカメラが、誰でも買える8万円の時代になったら....
このまま行くと、そんなカメラが10年以内に登場しそうです。

そうなると、誰でも撮る事ができるけれど、撮影する行為の楽しさって何でしょう?
私はそんなカメラ、好きにはなれません。
プロも「腕」は必要なくなって、思うような被写体を得る資金力と、コネだけが勝負かな?

ウ~ン....天邪鬼な私は近い将来フィルムカメラにこだわるかもしれないですね。
別のARTに取り組んでいるかもしれません。

投稿: MazKen | 2009/09/22 19:20

MazKen さま。

私は撮影が好きですが,カメラ自体も好きなわけで(そうでなければ,
PEN F シリーズのようなカメラに興味がわかないわけで…)。
確かに米谷氏は「究極のカメラはカメラがいらないカメラ」旨おっしゃって
いたわけで,最終的な画像が得られれば,カメラにこだわる必要がないのも
わかります。
しかし,今当たり前のように自動露出でマクロ撮影やマクロフラッシュ撮影が
できるのは,OM-2 がこの世に出たからで,おそらくはそれよりも遥か先に
発表されていたアートロニックFズームについて聞くとすれば
米谷氏しかいないかなと思ったわけです。
まぁ,バランスの問題(マニアックの程度)でしょうけど…。
「どんなカメラでも写真は撮れる,しかし“このカメラ”でないと
撮れない写真もある」のかな…と。
失礼いたしました…。
今日,amazon に『光画』と『時を超えるカメラ』を発注しました。

投稿: せみ ちゃん。 | 2009/09/22 17:17

"アートロニック Fズーム”??

多分、おそらく、私も同じですがあまりマニアックな質問をされると誰でも不快なのだと思います。
TOMY師と私と米谷師で3者懇談した時、FTのTTL受光部の構造違いが存在することについて質問した時も、同様な対応でした。

開発担当者ですから、どの程度知っていたか? 未知か? 管轄外? はともかく、自身が「撮影派」だと余計でしょうね。

私も正直言って、仕事仲間との技術情報交換は好きですが、一般の方があまりに数値上や雑誌上の情報ばかりネタにマニアックな話をされると、心良くは思いません。

多分、そんな心理かと思います。

投稿: MazKen | 2009/09/22 12:25

かくいう私も,2005年に同講演会で PEN FV と OM-3Ti にサインを
してもらいました…。
しかし,PEN 発売50周年=E-P1 発売の年に逝かれるとは,何という
奇遇なのでしょう…。
余談ですが,講演会の質疑応答の際,「OM-2 の TTL ダイレクト測光と
(1963年にフォトキナで試作機が発表された)“アートロニック Fズーム”
というカメラとの関連は?」という極めてマニアックな質問をして,米谷氏に
答えてもらえなかったのは私です…。
このカメラは,大和光機という会社(現存する同名の幾つかの会社の
どれにあたるかは不明…)が試作したもので,フィルム面測光(オート時の
露出時間は 120〜1/2000秒と,偶然にも OM-4 等と同じ。さらに,ちょっと
うろ覚えなのですが,フラッシュも同様に制御),ロータリーフォーカル
プレーンシャッターと,その 10年以上後に出た OM-2 の機能に極めて
似ているのです。シャッターは PEN F 似ですし。
ちなみに,レンズマウントはプラクチカ(M42)マウントで,オリジナルの
ズームレンズ(90-190mm F5.8)付でした。
このカメラについては,『戦後日本カメラ発展史』と「写真工業」1987年3月号
くらいしか出ていません(「写真工業」の記事のコピーがあるはずですが,
どこかにしまってしまい,見つからない…)が,ずっと気になっており,
当日お答えいただけるかな…?と思っていただけに,残念で,もうそれを
確認することも叶わなくなってしまいました…。
当日のお答えの様子は,聞かれたくない事を聞かれたような?
少々むっとされたようにも感じられたので,何らかの関連というか,
ヒントになったカメラだったのではないかと今でも思っています。
私は何も,「OM-2 はアートロニック Fズームの“パクリ”なのでは?」と
聞きたかったのではなくて,OM-2 に対して何らかのヒントというか,
良い意味での影響があったのかどうかをお聞きしたかっただけだったの
ですが…。

投稿: せみ ちゃん。 | 2009/09/21 21:54

マッピーさん、お久しぶりです。
皆さんも心配していましたよ。WEBサイト情報がわかったので安心しました。

もう4年前の秋でしたが「光画」にその時の模様も掲載しました。70mmF2で撮ったショットです。
あまりに元気な方だっただけに、TOMYさんと雨の葬儀に参加し現実のものだと心に留めました。

ペンを過去形にしないためにも、月に1本はフィルムで遊んでくださいね。
時々のぞいてください!

投稿: MazKen | 2009/09/04 13:43

先日、訃報を知りました。 本当に間抜けな私です。

米谷さんの事なんかまったく知らなかった小学6年生の頃、大阪万博への修学旅行で使ったのがPEN-Sでした。 私が幼稚園に入った頃、親父の店のお客さんで新聞記者をされていた方が「プロのサブカメラに使われるぐらいいいカメラだ」ということで中古で譲っていただいた物だったそうです。
高校2年のとき、どうしても欲しいとねだって買ってもらったのが50mmF1.8付きのOM-1。 このカメラは今も現役です。
日本カメラ博物館でTOMMYさん、MAZKENさんと一緒にカメラにサインして頂いたときのことが懐かしく思われます。 

投稿: マッピー | 2009/09/03 14:36

遊星人M3さん、弔辞をありがとうございます。

昨日もきのしたさんと撮影散歩をしていましたが、ペンFTのすばやいフットワークに私が持込んだ最新デジはまるで歯が立ちませんでした。

その後、きのしたさんのFTは運悪くシャッターが故障しましたが、TOMY師の手で元に戻るでしょう。
道具とはそうやって使うものです。(意外な出費は痛いでしょうが、3年に1度のOHと思えば安いものです)
もしデジイチなら、3年以内に旧式化し買替えを余儀なくされるでしょう....

これから先、何度かブームという無責任な荒波に遭ったとしても、おそらく私が撮影などできなくなるまでPEN-FTは相棒として働くでしょう。
フィルムと現像所が残る限りですが......皆さん撮影しましょうね。

投稿: MazKen | 2009/08/10 21:32

米谷さんの訃報は、8月2日に知りました。郷土の人であり、私が東京での単身赴任中に何度かお会いし、OM-1およびPEN-FT
にサインをしていただきました。
昔からのオリンパスのカメラで色んな被写体を写しました。1970年のベネット彗星は、ペンSで、撮影。遠足には、リバーサルフィルムを
ペンSに詰めて、バンバン撮りました。
社会人になって初めて買ったカメラがOM-1でした。
旅行、友人、家族などはもちろん、なんでもかんでもOM-1と、その後買ったOM-2に24mm、28mm、35mmの広角と100mm望遠が
主でした。
カメラ博物館での米谷氏の講演会では、楽しく興味あるお話をしていただき、おまけにカメラにサインをしていただき、非常に感激しました。
私が社会人になって自分で働いたお金で、OM-1を買いましたと言って、そのOM-1を差し出すと、嬉しそうに私のOM-1の底部に
Y.Mitaniのサインを快く書いていただけました。米谷さんのお話は何度聞いても面白かった。 残念です。 
もう2度と、米谷さんにサインを貰えないのですね。・・・・
最後に、MazKenさんの本も持っていますよ。 「時を超えるカメラ」

投稿: 遊星人M3 | 2009/08/10 21:07

きのしたさん、 Shigeさん、緑の亭主さん、弔辞ありがとうございます。

2日の告別式で撮った米谷師の遺影をそのままE-P1に入れたまま、西日本でロケをしていました。

今更ながらに、ペンを通じて出会った方々が多いことに驚くばかりです。
はたしてニコンでこういうつながりができるか? 私は無いと思います。
あまりに個性的なカメラであるが故に「本当にペンを使うユーザー」には、暗黙の強い仲間意識があるのです。

E-P1を2台持って旅してみてわかるのは、PEN-FTの優れた点ばかりです。
今更絶版になったカメラの記事など雑誌に書けませんが、やはりすごいカメラです。

米谷師なら、OMのデジバックを作っていたでしょう。間違いなく・・・

投稿: MazKen | 2009/08/06 23:25

心より御冥福をお祈りしたいと思います。
ペンの父、だけでなく、今のデジカメに至るまで、簡単気軽に何時でも撮れる写真、を創られた、大きな業績を偲びます。
家内は犬猫に、小生は取材で「相手を威圧せず自然に撮りたい」と願い、米谷技師の恩恵にあずかって、写真が好きになりました。
写真の楽しみを知って、人生が豊かになりました。
一介の消費者として感謝を申し上げます。
何というか、ユーザーに優しい技術者だった、と感じます。

投稿: 緑の亭主 | 2009/08/05 05:02

Pen、OM、XA・・・どれもエポックメイキングなカメラで撮ることを楽しめたカメラでした。

今は使う機会の減ったカメラですが、記録の道具として、長く一緒に旅してこられたのが幸せでした。

ありがとう米谷さん

合掌

投稿: Shige | 2009/08/03 16:41

惜しい方を亡くしました。
私も2005年秋の日本カメラ博物館で開催された講演会に出席していました。そこで購入しした書籍と 持参のPen-Fにサインを頂きました。

米谷さんは私の父とほぼ同世代です。
父は元気でやっているのですが、もうそういう歳になってしまったのですね。

いままで、たくさんの笑顔をみんなにくれた素敵なカメラを世に送り出してくれて、本当にありがとうございました。

これからも見守っていてください。

投稿: きのした | 2009/08/03 13:35

今日、米谷美久師の告別式に、TOMY師と参列してきました。

丁度、私の世代かやや若い方の父親に当たる世代の方であることを再認識しました。
お嬢様の2人のお子様(私の娘と同世代でしょう)が、涙をポロポロ流していたのがとても印象的でした。

失礼ながら、ペンFを持って満面の笑顔をたたえている遺影がとても素敵で、相応しいものでした。

死因は大腸がんだそうで、発症は私が懇談した秋の翌年、2006年春だそうです。

謹んで、哀悼のご報告をさせていただきました。

投稿: MazKen | 2009/08/02 22:19

kouさん、○sakaさん、弔辞ありがとうございます。

本当に不思議なカメラの縁だと思います。

そう、私の黒ペンですが2ヶ月前にミラーが脱落し、多忙を理由にそのまま放置してありました。
なんだか良くないので、すぐにTOMY師の元に送り、ちゃんとした姿に戻します。

投稿: MazKen | 2009/08/01 23:12

突然のこととて、非常に驚き、また残念に思います。
まだまだお元気でご活躍とお聞きしていただけに残念です。

PENがなければ、このようにフィルムカメラに入れ込むこともなかったでしょうし、いろんな方とのつながりもできなかったでしょう。いくら感謝してもしきれません。

また、米谷さんと同じ讃岐人であることを誇りに思います。とかく「へらこい」(計算高い、利にさとい、というどちらかというとマイナスのイメージのコトバ)といわれる西讃岐の出身でありながら、そのへらこさがプラスに転じて、合理的で無駄のない、哲学に裏打ちされた製品を生み出したのだと思います。

ご冥福をお祈りします。

投稿: ○saka | 2009/08/01 05:22

ネットで訃報を知り、大変驚きました。

Pen Dを手にして2年足らずですが、フィルム撮影に入れ込むようになったのもPenそしてOMがあったからこそです。それほど撮る事が楽しくなるカメラだと思います。

週末はPenとOMを連れて出かけようと思います。

ご冥福をお祈りいたします。

投稿: kou | 2009/08/01 00:37

da_daさんの書込みで初めて知りました。
OM4に憧れ、20年越しで手に入れ、義父のPEN-FTをお借りしてフィルムカメラにハマった私は、その後このようなカメラがあればなぁ、と思い探すとことごとく米谷氏のかかわったモノに行き着き、オリンパスファン、というより米谷モデルファンになり、著書を読みたいと、事ある毎に書店で探していたところでした。
畑は違いますが設計に携わる人間として、サインを求められるなんて、憧れの存在でした。

心からご冥福をお祈り致します。

投稿: あっきい | 2009/07/31 23:46

lensmaniaさん、弔辞ありがとうございます。

今、私達は正しいことを伝える責務に挑んでいます。

米谷師が繰り返し力説した「カメラが好きなんじゃない、撮ることが好きなんだ」というフィロソフィー。

ペンスケッチ展も、これから制作されるいくつかの出版物も、米谷師の志を真に継承する活動であると確信しています。

投稿: MazKen | 2009/07/31 23:14

突然の訃報に驚き,言葉もありません.
世界中のサイトで追悼の言葉が駆け巡っています.
そこでは異口同音に最大級の賛辞と,心からのRIP.胸が熱くなります.
面識はありませんでしたが,米谷さんの子供達はほとんど所持し愛用しています.
親子3代に渡って愛機になるでしょう.
ご冥福を.

投稿: lensmania | 2009/07/31 20:45

ひまわりさん、39ersさん、弔詞をありがとうございます。

米谷さんも、E-P1のことには喜んでいたと伺っています。
あまりに元気な方だったので、本当に驚きました。

投稿: MazKen | 2009/07/31 17:56

新聞の訃報欄で知りました。

防湿庫に眠るFTの現役復帰の為に、機材整理を考えていた矢先の逝去。
PENシリーズを生み出し、写真の世界を生活に溶け込ませた米谷さん。

心より御冥福をお祈り致します。

投稿: 39ers | 2009/07/31 16:54

私は今朝になってから知りました。

PENという小さく偉大なカメラをこの世に誕生させてくれた事を感謝しております。
PENが無ければ、MazKenさんはじめ、皆さんとも知り合う事は無かったと思います。

心よりご冥福をお祈り申し上げます

投稿: ひまわり | 2009/07/31 12:27

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